論語 子罕9-31

子罕

【白文】
子曰、
可與共學。
未可與適道。
可與適道。
未可與立。
可與立。
未可與權。

【書き下し文】
子曰しいわく、
ともともまなし。
いまともみちからず。
ともみちし。
いまともからず。
ともし。
いまともはかからず。」

【現代語訳】
先生がおっしゃるには、
「共に学問をすることはできる。
しかし同じ道を進むことができるとは限らない。
共に同じ道を進むことはできる。
しかし同じように身を立てることができるとは限らない。
共に同じように身を立てることはできる。
しかし同じような対応ができるとは限らない。」

ハチ

人の行動について段階的に説明されています。

1つ目は学問をすることについてですね。

ハチ

はい。
共に学んでも結果は異なるということです。
学び方によって学問の成果が違ってくるのです。

次は道の進み方ですね。

ハチ

はい。
同じような成果が出せたとしても、それで身を立てていけるかどうかに違いが出るということです。

最後は対応の仕方ですね。

ハチ

はい。
同じように身を立てることができたとしても対応の仕方には差が出るということです。
抽象的でわかりにくいという人もいると思うのでこんな風に考えてみました。
例えば、教師を目指している人がいるとします。
そのために一生懸命勉強します。
しかし、勉強の成果は学び方によって違いが生じます。
教員試験に合格できる人とできない人が出てきます。

なるほど。

ハチ

次は、教員試験に合格できた人でも教員を続けられる人とそうでない人が出てくるいうことです。
教師を生涯の仕事として身を立てる人と途中で辞めてしまう人に分かれてしまいます。

最後はどういうことですか。

ハチ

教師として仕事をし続けたとしても、対応の仕方に差が出てしまうということです。
生徒さんのためになる対応ができる先生とそうでない先生がいるということです。
一番大事なのはこの最後の段階です。
教師に限らずどのような仕事でも、その仕事にふさわしい対応ができることが重要だと孔子は伝えているのだと思います。

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