【白文】
子貢曰、
管仲非仁者與。
桓公殺公子糾。
不能死。
又相之。
子曰、
管仲相桓公、覇諸侯、一匡天下。
民到于今、受其賜。
微管仲、吾其被髪左衽矣。
豈若匹夫匹婦之爲諒也、自經於溝瀆而莫之知也。
【書き下し文】
子貢曰く、
「管仲は仁者に非ざるか。
桓公公子糾を殺す。
死ぬ能わず。
又之に相たり。」
子曰く、
「管仲、桓公に相として、諸侯に覇たらしめ、天下を一匡す。
民今に到りて其の賜を受く。
管仲微かりせば、吾其れ髪を被り衽を左にせん。
豈に匹夫匹婦の諒を為すや、自ら溝涜に経れて之を知るもの莫きが若くならんや。」
【現代語訳】
子貢が言った。
「管仲は仁者ではないのでしょうか。
恒公が公子糾を殺しました。
(そのとき)恒公は自殺することができませんでした。
そしてまた恒公の宰相になったのですから。」
先生がおっしゃった。
「管仲は恒公の宰相として、恒公を諸侯の覇者にさせ、天下を統一して正した。
民衆は今でも彼の恩恵を受けている。
もし管仲がいなかったら、私たちは髪をザンバラにして着物を左前に着ていただろう。
一般の夫婦がちょっとした誠実さを証明するために、自殺し遺体が溝の中で誰にも知られずにいるのと同じように(管仲が)ある必要があろうか。」
子貢が管仲の仁を疑い孔子に質問しています。
君主の公子糾が恒公に殺されたとき、家臣であった管仲も殉死すべきであったのにそれをせず、殺した側の恒公の側についた不義理を子貢は疑問に思ったのです。
孔子先生は管仲の行動を否定してはいないようですね。
はい。
その後の管仲の残した功績の大きさを見れば、殉死などする必要はなかったのだと孔子は考えているのです。
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