【白文】
叔孫武叔語大夫於朝曰、
子貢賢於仲尼。
子服景伯以告子貢。
子貢曰、
譬之宮牆、賜之牆也及肩。
闚見室家之好。
夫子之牆數仞。
不得其門而入、不見宗廟之美、百官之富。
得其門者或寡矣。
夫子之云、不亦宜乎。
【書き下し文】
叔孫武叔大夫に朝に語りて曰く、
「子貢は仲尼より賢れり。」
子服景伯以て子貢に告ぐ。
子貢曰く、
「之を宮牆に譬うれば、賜の牆や肩に及ぶ。
室家の好きを窺い見る。
夫子の牆は数仭。
其の門を得て入らざれば、宗廟の美、百官の富を見ず。
其の門を得る者或いは寡なし。
夫子の云うこと、亦宜ならずや。」
【現代語訳】
叔孫武叔が朝廷で高官たちに告げて言った。
「子貢は仲尼(⁼孔子)よりもすぐれている。」
子服景伯がそのことを子貢に知らせた。
子貢が言った。
「これを屋敷の塀に例えるなら、私の塀は肩くらいの高さで、家の中のよいところをのぞいて見ることができる。
しかし、先生の塀は10メートル以上もある。
その門を見つけて中に入らなければ、宗廟の美しさや大勢の役人たちの様子を見ることはできない。
その門を見つけられる人間は少なく、あの方がそう言われるのももっともなことだ。」
子貢が、自分と孔子の違いを塀の高さを用いて説明しています。
具体的にはどういうことですか。
自分の塀はそれほど高くないので、その塀の内側は簡単に見ることができると言っています。
これは、自分の内面(⁼人間性)は簡単に知ることができるという意味です。
一方、孔子の塀は高いので、その塀の内側は簡単に見ることができないと言っています。
これは、孔子の内面(⁼人間性)は、その中に入った者(⁼弟子)でなければわからないという意味です。
だから、叔孫武叔が孔子の人間性が理解できないのも仕方がないと述べています。
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