論語 雍也6-3

雍也

【白文】
哀公問、
弟子孰爲好學。
孔子對曰、
有顔回者、好學。
不遷怒。
不貳過。
不幸短命死矣。
今也則亡。
未聞好學者也。

【書き下し文】
哀公問あいこうとう、
弟子孰ていしたれがくこのむとす。」
孔子對こうしこたえていわく、
顔回がんかいなる者有ものあり、がくこのむ。
いかりをうつさず。
あやまちをふたたびせず。
不幸短命ふこうたんめいにしてせり。
いますなわし。
いまがくこのものかざるなり。」

【現代語訳】
哀公がおたずねになった。
「弟子の中で誰が学問を好んでいますか。」
(孔子が)答えて言った。
「顔回という学を好んでいる者がおりました。
(顔回は)怒りの感情に振り回されることもありませんでした。
(また)同じ間違いを2回することもありませんでした。
不幸にも短命にして亡くなってしまいました。
今はもうこの世にはいません。
(彼のが亡くなった後)私は学問を好む者がいると聞いたことがありません。」

ハチ

魯の国の君主である哀公が孔子に質問した場面です。

弟子の中で学問好きは誰かという質問ですね。

ハチ

はい。
孔子は顔回の名を挙げています。
顔回は孔子の弟子の中でも別格の存在でした。

顔回は孔子の最愛の弟子だったのですね。

ハチ

そのようです。
人格・能力共にずば抜けた存在の顔回でしたが、不幸にも若くして亡くなっています。
一説によれば顔回が亡くなった年齢は41歳、そのときの孔子の年齢は71歳と言われています。
孔子は73歳で亡くなったとされていますので、まさに晩年の孔子にとって最愛の弟子顔回の死は痛切の極みであったと思われます。

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