論語 子罕9-3

子罕

【白文】
子曰、
麻冕禮也。
今也純儉。
吾從衆。
拜下禮也。
今拜乎上泰也。
雖違衆、吾從下。

【書き下し文】
子曰しいわく、
麻冕まべん禮也れいなり
いまじゅんなるはけんなり。
われ「しゅうしたがう。
したはいするは禮也れいなり
いまうえはいするは泰也たいなり
しゅうたがうといえども、われしたしたがわん。」

【現代語訳】
先生がおっしゃるには、
「麻の冠が礼の道にかなっている。
現在絹の冠になっているのは倹約のためだ。
私はこの絹の冠をつかう民衆のやり方に従う。
君主に招かれれば宮殿の下からお辞儀するのが礼法だ。
現在、宮殿の上でお辞儀をしているのは傲慢だからだ。
私は今の民衆のやり方とは違う、宮殿の下でお辞儀するやり方に従う。」

ハチ

孔子が民衆のやり方に賛成するものと反対するものを対比して説明しています。

絹の冠は賛成しているのですね。

ハチ

はい。
当時は麻の方が絹より高価でした。
本来は麻の冠を使うことが礼法の道にはかなっているのですが、倹約のためなら絹の冠を使うのもよいだろうということです。

宮殿の上でお辞儀することは反対していますね。

ハチ

はい。
これは傲慢さがその原因であり、心の持ち方ですぐにでも改善できるからです。
宮殿の上でお辞儀する民衆が増えていますが、孔子はそれに従わず宮殿の下でお辞儀をすると述べています。

正当な理由がある場合とそうでない場合に分けられるのですね。

ハチ

そうですね。
本来礼法は正しく守られるべきものですが、場合によっては礼法の道から外れることも許されることがあるということです。
しかし、それも無制限に許されるべきものではありません。
許される範囲にはやはり限度があるのです。

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