論語 八佾3-26

八佾

【白文】
子曰、
居上不寛、爲禮不敬、臨喪不哀、吾何以觀之哉。

【書き下し文】
子曰しいわく、
かみかんならず、れいしてけいせず、のぞんでかなしまずんば、吾何われなにもってかこれんや。」

【現代語訳】
先生がおっしゃるには、
「高い地位にいながら寛容ではなく、礼制を実践していながら敬意をもたず、葬式に出席していながら哀悼の意をもたない人間を、私はどのようにして見たらよいのだろうか(見るべき価値などない)。」

ハチ

孔子の強い非難が読み取れる内容です。

どのようなことを非難しているのですか。

ハチ

3つあります。
1つ目は、高い地位にいながら、民衆に対して寛容な精神をもたない役人を非難しています。

現代の政治家にも言動が横柄な人が見受けられますね。

ハチ

どんなに高い地位についても、いや高い地位につけばつくほど謙虚かつ寛容にならなければなりません。

2つ目はどんなことですか。

ハチ

形だけ礼儀を実践して、そこに心がこもっていない人間を非難しています。
うわべだけの礼儀には意味がなく、内面が伴っていなければならないということです。
外面を取り繕う礼儀は、ときには見苦しささえ感じるものです。

3つ目は?

ハチ

葬儀に出席していながら、哀悼の気持ちをもたない人を非難しています。

義理だけで葬儀に出席してもダメなのですね。

ハチ

亡くなった人に対する哀悼の気持ちがなければならないということです。
2つ目と同様、外面ではなく内面を重視する孔子の考え方がここでも見られます。

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